週刊文春が6月に歌舞伎役者の不倫スクープを予告していた通り、中村橋之助が浮気相手である京都の芸妓市さよとの"禁断愛"を報じました。
これを受けて中村橋之助は不倫謝罪会見を開き、市さよとは20年来の顔見知りだったとか。しかし会見内容は謝罪というより、来月の大名跡襲名の為の番宣のようでした。
中村橋之助の不倫相手市さよの年齢やすっぴん顔画像、謝罪会見の内容や動画をご紹介します。
市さよの年齢とすっぴん顔写真
中村橋之助の不倫相手として名前があがった市さよは、京都先斗町の人気芸妓で、タレントとしても活躍していて、芸舞妓の世界を代表してメディアにも出演しているそうです。いわば、芸舞妓の世界のスポークスマンといった存在なのでしょうか。京都の芸妓の間ではとても有名だそうです。
ちなみに芸妓・舞妓は京都での呼称で、関東では芸者になるんだそうです。海外ではゲイコではなく、ゲイシャという呼び名で知られていますよね。
市さよは、日本舞踊を習い始めたのが3歳で、京都先斗町舞妓デビューしたのが1995年です。襟替えし、芸妓になったのが2001年。舞妓は大体16歳〜20歳くらいだそうで、このことから、市さよの年齢は36歳か37歳だと推測されます。
芸妓のあの化粧の姿だと、市さよの本当の顔の様子が分かりにくいですが、薄塗りのお化粧ですっぴんに近い顔画像を見ると、とても落ち着いた美人さんです。写真からして、30代半ばから後半くらいの年齢でしょうね。
なぜかピースのポーズが多い。
和服のよく似合う、和美人ですよね。
謝罪会見の動画と内容は?
週刊文春によると、中村橋之助は8月に3度も市さよと密会を重ねていたんだとか。週刊文春が歌舞伎役者の不倫スクープを予告したのは6月ですから、その後も取材を続けていたというわけですね。
しかし2014年には既に中村橋之助と市さよの不倫は噂されていたんだとか。
2014年6月に、「市さよさん、歌舞伎役者と付き合ってるって本当?」「今は歌舞伎役者の愛人らしい。有名な話だとか?」という書き込みがネット上にあります。
実際にはなんと20年来の顔見知りだったと、不倫謝罪会見で中村橋之助は述べています。どうやって知り合ったのかというと、「京都のそういうところと歌舞伎界は昔から長い繋がりがる」んだとか。その関係で市さよと顔見知りになったそう。つまり市さよが舞妓デビューして間もない頃からの知り合いとうことになります。
中村橋之助が三田寛子と結婚したのは1991年ですから、市さよと出会った1996年頃と推測されますから、中村橋之助と市さよの関係は常に不倫であったと言えます。中村橋之助が結婚してから知り合った。
出会ってすぐに不倫関係になったのか、いつからそれは始まったのか、中村橋之助は会見で話しませんでしたが、少なくともここ数年はそういう関係であったようです。
「不徳の致すところ」という言葉を繰り返し使っていた中村橋之助は、今回の浮気を全面的に認めているようでが、反省の様子は全くありませんでした。
三田寛子からはキツく叱られたと話していましたが、妻の信頼を裏切り不貞行為を行ったことに対してではなく、来月に迫った大名跡襲名前の大事な時期に、何バカなことをしているんだ、という内容。確かに歌舞伎の世界で大名跡襲名は大事です。きっと関係者は大名跡襲名が無事に済むよう、神経を尖らせていることでしょう。そんな大事な時期に不倫で報道されるなんて!
しかし、ここで思ったのは、大名跡襲名前じゃなければ浮気しても良かったのか、ということです。歌舞伎の世界はそういうところが世間一般とはずれているように思えますし、世間一般も歌舞伎界のそういうところを受け入れているように見えます。
実際に不倫謝罪会見で中村橋之助は記者たちに、「来月の大名跡襲名、よろしくお願いします」などとちゃっかり宣伝していました。
中村橋之助の謝罪会見は終始和やかに進んでいるように見えました。同じ不倫でもバッシングだらけだったベッキーのときとは大違いですね。
最後に
中村橋之助の謝罪会見動画を観たとき、思わず今回の市さよとの不倫騒動を大名跡襲名の宣伝に使ってない?と思ってしまいました。番宣のようでした。
三田寛子は「うちに芸の肥やしはありません」と言ったそうですが、歌舞伎役者の浮気は未だ”芸の肥やし”のように捉えられているのかなと思いました。
以上、中村橋之助、不倫相手市さよのすっぴん顔写真が綺麗でも、謝罪会見動画はただの番宣、という話題でした。
週刊文春の全文内容とツーショット画像
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