運動の必要性やダイエットについてよく人に聞かれる。しかし友陣自身も、最初から運動する習慣があったわけではない。運動する習慣化する前までは、「運動した方がいいよ」とよく言われたものだ。自分自身の経験から、なぜ人は運動しないのかを考えてみた。
いくつか理由は考えられるが、その中で今日は、「運動は嫌なもの、辛いこと、という擦り込み」について掘り下げてみたい。
体を動かすことの、何が楽しいの!?!
毎日運動する習慣を持つようになって12年経つ。最初はウォーキングから始めたのだが、歩いていると結構楽しい。近所を歩くので、近所の人と仲良くなれるし、季節感を味わえるし、ウォーキングを終えると達成感はあるし、心地よい疲れが何ともいえず、夜はよく眠れるし、体重も落ちるし。最初は30分だったのが、今では2時間歩き続けても結構平気だ。そこで気づいたことがある。運動とは楽しいもの、楽しむものだったんだと、友陣は知らなかった。そういう考え方があるとは、知らなかったのだ。
今でこそスポーツは科学だと捉えられていて、国立スポーツ科学センターなるものも存在するが、友陣が中学校高校の頃は、精神論のような考えが強かった。運動部に属していたが、とにかくハードだった。中学校の頃は、部活中水を飲むのも制限されていて、顧問の先生から徐々に水分を取る量を減らすように指導されていた(今では信じられない)。厳しい先生だったので、とにかく叱られないようにプレーすることだけを心がけていた。高校になると、顧問の先生はスポーツを科学する人だったので、水分摂取や、プロテイン摂取、食事指導と、中学よりマシだった。しかし練習そのものは相変わらずの精神論であった。そんな部活生活だったので、スポーツが楽しいだなんて一度も思ったことはなかったし、スポーツとは苦しいもので、その苦しさを乗り越えることに意義があると思っていたし、思い込まされていた。そういうものだと思っていた。
時々人は、「あの苦しさを乗り越えたから、その後どんな辛いことも平気だ」と言う。しかし友陣は、あの苦しいだけの部活動から学んだことは、運動とは苦しいものだということだ。ミスしたりサボると叱られるが、頑張ったら褒められるわけではない。単に叱られないだけだ。そんな中で、どうやって運動は楽しいもの、楽しむものと考えられようか。このように子供の頃、十代の頃に体験的に学んだことは、大人になってからも強く頭にすり込まれているものだ。だからどんなに運動は大事だと言われても、あんな嫌な経験しかないことをやろうとは思わないだろう。「運動することを楽しもう、楽しみながら運動しよう」なんて言われても、「運動は健康に大切だから、どんなに辛くてもやれ」としか聞こえない。「そうだな、運動は嫌だけど健康のために頑張ってやろう」とこれまたすり込まれた精神論でもって運動をしようとするから、楽しくないし長続きもしない。楽しくないことは長続きしないものだ。
では、このすり込まれた考えを、変えることは可能なのか?答えはもちろんYesだ。ではどうやって?
次回に続く。