4月からスタートの朝ドラ「とと姉ちゃん」。あらすじやキャスティングについては既に多くの情報が流れているので、ここでは割愛ということで。ところでそこに出てくる雑誌「あなたの暮らし」のモデル「暮しの手帖」、随分昔、母が購読していたので実家にあったことを覚えている。ここでは、その雑誌の創刊者であり、亡くなる直前まで編集者として働いていた、「とと姉ちゃん」では唐沢寿明演じる花山伊佐次のモデルでもある、花森安治にスポットを当ててみた。
旧制松江高等学校に進学だなんて
1911年10月25日神戸市生まれの花森安治は、旧制松江高等学校に進学。去年松江市に旅行したからかとても親近感が沸くと同時に、神戸の人なら地元か大阪の旧制高等学校に進学するような気がするが、どうして松江なんだろう、という疑問が沸いた。多分これは、この地方に住んでいる者でないとピンと来ない疑問だと思う。松江市は美しい城下町だし、旧制松江高等学校も素晴らしい学校だったと思う。ただどうして神戸なのに松江?という不思議が、どうしても頭から離れない。
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ただここで、編集の仕事をしたことが、編集者としての原点になったらしく、松江を選択したのは間違っていなかったのだろう。その後東京帝国大学に進学した花森安治。なんだそうか、帝大か、と胸を撫で下ろす。
あの戦争プロパガンダを生んだのも?
戦争を知らない世代でも、聞いたことがあるだろうフレーズ「欲しがりません、勝つまでは」は、花森安治が関わったとされている。花森安治が実際に考案したという説もあるらしいが、実際は公募の中から彼が選んだらしい。このように花森安治は戦争に大きく貢献して、戦後はそのことをとても悔やんでいる。
「暮しの手帖」とは実験室
戦後は出版会社を設立し、「暮しの手帖」を創刊させるのだが、「暮しの手帖」とはもちろん雑誌の名前であり、暮らしの手帖社とは出版会社の名前である。しかしそこで実際に行われた数々の商品実験は、花森安治の性格を物語るもので、彼にとっては「暮しの手帖」とは実験室であったと言っていいかもしれない。使用中のストーブを倒したらどうなるか、と倒してみたら火が大きくなり大事になる寸前だったとか。
花森安治のデザインとキャッチフレーズ
花森安治が手がけた「暮しの手帖」の表紙カットは、どれも温かく懐かしい。水彩画のようなその建物の絵は、子供の頃画用紙に描いた、そんな純粋さがある。ヨーロッパなのか、18世紀なのか、現代なのか、見る側には不思議な建物の絵である。
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花森安治は有名なキャッチフレーズを世に送り出している。「一番うまいアサヒビール」もその一つだ。戦争中のプロパガンダに比べれば、自由で、平和で、幸せなフレーズだ。
最後に
花森安治について、印象的だった事柄をいくつかピックアップしてみた。1978年1月14日に亡くなる数日前まで、編集者として働いていたとか。とにかくこの人物、ちょっとユニークだったようで、次回はその辺りにスポットを当ててみたい。