7月29日放送の「爆報!THE フライデー」では、元フジテレビの人気アナウンサー寺田理恵子の壮絶人生を紹介します。
玉の輿かと思われた元NEC会長の長男で夫の関本雅一氏の急死、残った多額の借金、そして最初の旦那との子供である娘ゆりえの裁判、親子の確執・・・。
その中でも、寺田理恵子の娘ゆりえの歌手デビューにまつわる裁判と、それに対する寺田理恵子の態度や反応について、クローズアップしてみました。
寺田理恵子の結婚歴
1980年代に「オレたちひょうきん族」で人気を博した元フジテレビの女子アナウンサー寺田理恵子は、フジテレビ入社5年後の1989年に結婚のため退社し、フリーアナウンサーになりました。
制作会社のディレクターである夫との間に1990年に生まれたのが、ゆりえ(由里絵)さん。
しかし夫のDVと不倫で1998年に離婚。
不倫相手を妊娠させておきながら、寺田理恵子には暴力を振るうという最低な旦那だったわけです。
その後寺田理恵子は、2000年に妻子ある関本雅一氏と略奪婚をします。
関本雅一氏はNEC元会長の関本忠弘氏の長男で、電通勤務のエリートでした。
当初寺田理恵子は、関本雅一氏に妻と子供がいるとは知らず、記者からその事実を知らされたというから驚きです。
玉の輿かと思われた寺田理恵子の再婚でしたが、関本雅一氏の金銭がらみの問題で、決して玉の輿状態だったとはいえませんでした。
- 広告費3億円水増ししていたことが会社にバレて懲戒処分
- 6500万訴訟問題
- 設立した会社の経営悪化で、金融会社から借金返済を求められ提訴
- 人材派遣会社の5600万業務上横領容疑の逮捕
そして極めつけは、2012年12月に関本雅一氏が大動脈瘤破裂が原因でシャワー中突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。
寺田理恵子に残されたのは、膨大な借金でした。
そんな寺田理恵子は、生活のため、借金返済のため、時給1000円で、ベビーシッター会社の受付パートをしていたそうです。
ゆりえの歌手デビューと高橋陽子
寺田理恵子の不幸はまだまだ続きます。
寺田理恵子の長女、つまり最初の旦那との娘ゆりえの歌手デビューをめぐって、音楽プロデューサー高橋陽子氏と裁判になったのです。
ゆりえは高校の時から「音楽甲子園2007」でオリジナル曲が優秀歌曲賞として受賞したりと、歌手になることを夢見ていました。
2008年、音楽プロデューサーの高橋陽子氏は『ヴォーカルアカデミーオブ東京』で歌う藍沢ゆりえに可能性を感じ、寺田理恵子とゆりえにCDデビューを持ちかけます。
高橋陽子氏は、青山テルマをプロデュースしたこともある敏腕音楽プロデューサーです。
寺田理恵子も娘を売りだしたいと、乗り気だったそうです。
このとき高橋陽子氏が所属していたユニバーサルはこの話に消極的だったことから、高橋陽子氏は独立して個人事務を設立しました。
それほどまでにゆりえの歌手としての可能性を信じ、かけていたわけですね。
みごと友里恵は藍沢ゆりえという名前で「お母さん」という曲でデビューします。
しかしここで問題が。
夫である関本雅一氏はこのことを知らされておらず、関本雅一氏に内緒でことが進んでいたわけです。
当初寺田理恵子は、夫をちゃんと説得すると話していたそうですが、関本雅一氏はマスコミ嫌いだったこともあり、なんと藍沢ゆりえを無理やり引退させ、芸能活動を一切辞めさせてしまったのです。
なんという強引さ。
独立して個人事務所まで設立させ、ゆりえのデビューに多額のお金をつぎ込んだ高橋陽子氏は、このことにより金銭的損害が生じた上、当初の話と違うということで、問題の元となった関本雅一氏を訴えました。
しかしこれは却下されたので、寺田理恵子を訴えることに。
そんな中、関本雅一氏が亡くなったのでした。
寺田vs高橋陽子、泥沼裁判
この裁判沙汰をまとめると、
高橋陽子と由里絵がマネジメント契約の約束をする
書面の契約がないまま藍沢ゆりえがCDデビュー
1ヶ月後夫関本雅一に内緒でデビューしたことから、関本雅一が激怒
CDの発売中止。
2010年
高橋陽子が関本雅一を訴える
2012年
東京地裁が棄却
高橋陽子が寺田理恵子と娘(ゆりえ)を相手取り裁判中
関本雅一が死亡
2013年
裁判泥沼化
高橋陽子は現在、作家のマネジメントとホテルの配膳をしながら生計を立てているとかいないとか
書面契約が無かったのが、この裁判を複雑にしているような気がします。
ちゃんと契約を書面上で結んだなら、関本雅一が何をしようと、裁判ですぐにことは片付いたと思うのですが。
寺田側の言い分は、
・由里絵は学業優先で、そもそもタレントになろうという気持ちはなかった。
・高橋は、“費用はユニバーサルが負担する”と言っていた。
・高橋のマネジメントは、雅一、理恵子、由里絵の同意を得ていなかった。
・CDの発売は高橋から一方的に通告された。
・高橋から示された契約は、由里絵にとって圧倒的に不利なものだった。
週刊女性より
高橋陽子氏が請求している金額は約452万円ですが、これは実際の損失額で、この中に慰謝料は含まれていません。
寺田理恵子はお金が無いから返せないと言っていたようで、バイトしてまでしている高橋陽子氏からすると、到底納得できません。
しかもそれまで6回行われた口頭弁論に、寺田理恵子は一度も出席しなかったとか。
裁判所が提示した和解策にも歩みようともしませんでした。
寺田理恵子が求める条件は、
- 藍沢ゆりえの「お母さん」の再録音
- その全権利は寺田側
- 前回のCD発売に関しての費用は払わない
- 謝罪もしない
ということだったので、裁判所の提案した、単なる”和解”には出席したくない、ということだったのでした。
もちろんこうした寺田側の態度は、多くの批判を浴びました。
親子の確執、高橋陽子の怒り
現在寺田理恵子は、生島ヒロシのコネで2014年10月から仕事に復帰し、働いています。
ということは収入があるので、高橋陽子の損害賠償金を払えるのでは?と思いますが、そのところはどうなっているのでしょう。
DV夫との離婚、略奪再婚、夫の急死、歌手デビューを巡る裁判など、本当に壮絶な人生を送ってきた寺田理恵子ですから、当然その人生は娘ゆりえに影響を及ぼしたことでしょう。
「爆報!THE フライデー」では、親子の確執にも焦点が当てられ、娘の衝撃告白もあるようです。
さらに高橋陽子の怒りのコメントも放送されるという情報もあります。
この裁判が終止したとの情報は見当たらなかったので、泥沼化したまま続行しているのでしょう。
以上、寺田理恵子の壮絶人生、夫の急死に娘の裁判、そして親子の確執、という話題でした。