高松市の小学校担任が、児童のノートを「悪い例」として黒板に掲示し、しかもそのノートを外そうとした児童の体を教師が掴んで阻止しようとしたという、ちょっと衝撃的なニューすです。
「良い例」としてではなく「悪い例」として個人のノートを公開するこにも驚きですが、そのノートを取り返そうとした児童を阻止しようとした教員の行動にも、さらに驚き。
みなさんはどう思いますか?
驚きの担任の指導法
高松市の小学校で5月に起きたこの事件。元記事は「「悪い例」と児童のノート貼り出す 高松の小学校担任」です。
小学校何年生かは報道されていませんが、中学年から高学年と推測します。
小学校担任が、ある児童のノートを「悪い例」として取り上げ、それ黒板に貼り付け、他の児童に悪い点を指摘させる。ノートの書き方の指導で、そんな指導方法を取っていたこの教員。
しかもその児童の名前が分かるように、ノートを表示していたそうです。
その児童としては、恥ずかしさ、腹立だしさ、悲しさ、悔しさでいっぱいだったと思います。
で、そのノートを取り返そうとすると、なんと教師はそれを阻止。児童の体を掴んだ際、手が当たり、児童の首付近にかすり傷を追わせたとか。そして教員がその掴んだ手を話し、児童は転んだそうです。
教員が「悪い例」として他の児童の前で公開するだけでも驚きですが、そのノートを取り戻そうとした児童を阻止したことにも、もっと驚きです。
いつもマイナスの指導法
私はまず、この担任の指導法にとても疑問を持ちました。
というのも「悪い例」を表示し、何が悪いのか児童に指摘させるより、「良い例」を出して何が良いのか話し合う方が、よほど効果的だと思うからです。
マイナスの要素が多分に含まれているこの教員の指導法は、負の強化と呼ばれ、悪い点が理解できても、では一体どうしたらいいのかが欠けるため、実際どうしたらいいのか分かりません。
ノートにはこんなことを書いてはいけない、こういうふうに書いてはいけない、と分かったところで、ではどう書いたらいいのか、何を書いたらいいのか、分からないのです。
悪いノートの書き方は分かったけど、実際何をどう書いたらいいの?ということになります。
それに悪い例を見ると、そのことが脳に記憶され、その悪い書き方につい手が動くことも。
大人で言えば、「ダイエットのため、スイーツは食べない」と考えると、「スイーツ」のことばかり頭に浮かんでしまいます。否定したところで、その部分より、スイーツにフォーカスしてしまうのです。しかもスイーツを食べないで、一体何を食べればいいの?という苛々につながります。
ですからこの場合いは、「ダイエットのため、野菜を多く取る」と切り替えたり、「ダイエットのため、スイーツは朝食べる」というふうにプラスに持ってきたほうが効果的です。
それと同じで、「良い例」のノートを見せた方が、児童はよほどノートの書き方が上手くなるでしょう。
ノートの書き方が上手くなりたければ、上手なノートの書き方を真似ればいいわけです。
こういった考えから、この高松市の小学校担任の指導法は、大変疑問です。
教師に裏切られた児童の気持ち
もう一つ、この事件で私が懸念したことは、他の子供から嫌な思いをさせられたのではなく、本来なら信頼関係で結ばれているはずの教員から、このようなことをされた児童の気持ちです。
学校の先生は正しい、そんな概念はとっくの昔に消えてしまったのでしょうか。
学校の先生の言うことをちゃんと聞きなさいと、私は親や周りの大人たちから言われて育ちました。
きっとこの児童も先生を信用していたと思います。この事件が起こるまでは。
この事件が起こってから、先生を信用できなくなってしまったのなら、それはとても悲しく残念なことです。
悲しい経験をしてきて、大人を信用できない子供は、とても気の毒だと、私は思います。
最後に
しかしこの元記事、「「悪い例」と児童のノート貼り出す 高松の小学校担任」には、なぜ教員がその児童のノートを「悪い例」として取り上げたのか、記載されていません。
どんな理由があるにせよ、教員の取った行動は間違っているのかもしれませんが、元記事もある意味一方的な書かれ方だなと思いました。多少は教員の言い分も載せてもいいのでは?
報道とは、書かれ方で、私たちの見方は変わりますからね。
以上、「悪い例」と児童のノート貼り出した教員、どう思う?という話題でした。