新宿ジゴロと呼ばれ、億の金を貢がせた伝説のホスト伏見直樹さんをご存知でしょうか。
伏見直樹さんは17歳でホストの世界に入り、新宿一大きな「クラブ愛」でナンバーワンになりました。
伏見直樹さんが新宿ジゴロだった現役ホスト時代、歌手としてリリースしたレコード、そして現在中橋板で経営している「レトロ酒場 三本杉」まで、伏見直樹さんについてまとめました。
伏見直樹が新宿ジゴロになるまで
伏見直樹さんは、1995年10月16日生まれで現在60歳。北海道久遠郡せたな町に生まれ、15歳の時に家族と上京しました。
伏見直樹さんには、10才くらい年の離れた妹がいます。
中学校卒業後は高校進学をしませんでしたが、栄養士になるために専門学校へ通いたいと父親に言うと大反対され、伏見直樹さんは家を出ました。
で、流れ着いたのは、俳優の梅宮辰夫がオーナーを務めていた「梅宮」という店で、そこでは無遅刻無欠勤で一年365日懸命に働いたそうです。
やがて伏見直樹さんはホストとしてステップアップし、ついには新宿「クラブ愛」本店でナンバーワンの座につきます。
独立してからはジゴロと自称し、「新宿ジゴロ」「バイオレンス・ジゴロ」などのお店を開き、成功させました。
「ジゴロ」を自ら生きる
ジゴロと自称するだけあって、伏見直樹さんはホストとして数々の伝説を残しています。
高級外車を乗り回し、高価でブランドもののスーツやアクセサリーを身にまとい、一晩で500万円も稼いだとか。
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伏見直樹さん、ホスト現役時代のときの画像はこちら。白黒写真のが、32歳くらいの伏見直樹さんだと思われます。
伏見直樹さんがホストとして一晩でこの金額を稼いでいたのは、70〜90年代でしょうから、当時としてはかなりの金額だったと思います。
もちろん今でも凄い金額ですが。
さらに女に億の金を貢がせたと、当時マスコミを賑わせていました。
また50本もの女性の合鍵を持っていた言います。
しかし、これはきっと女性の方から伏見直樹さんに差し出したんだと思います。
なぜなら、伏見直樹さんにはジゴロの定義があって、
「ヘルプしたくなる男の総称:ジゴロ
ほしい、たのむとものごいしない」
そうです。
とてもきらびやかな夜の世界に君臨していた伏見直樹さんですが、やはり侮蔑と嫌悪の目で見られることもあったそうです。
レコード発売、歌手伏見直樹
伏見直樹さんは、1973年12月、瞳アリスという芸名で念願だった歌手デビューを果たします。
タイトルは『恋はあやつり人形』で、200万円の自費出版で500枚プレスしましたが、あまり売れませんでした。
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こちらが『恋はあやつり人形』レコードジャケット。
18歳の伏見直樹さん。いかにも70年代という感じで、時代を思わせますね。
伏見直樹さんがホストとして、がむしゃらに働き始めた頃でしょう。
この後も、伏見直樹さんは、
1979年「女になりたい」5000枚売上
1982年「狂った夜へ」
1989年「夜の小劇場」
とレコードをリリースしました。
「夜の小劇場」はYouTubeから、伏見直樹さんのライブ動画がご覧になれます。
レコード以外にも、1981年10月に自伝「ザ・ジゴロ」を出版し、30万部売り上げています。
現在の伏見直樹と「レトロ酒場 三本杉」
2012年、伏見直樹さんは、人生に区切りをつけるため、経営していた麻雀の店をたたみ、芸能活動を一切やめ、全ての女と手を切り、全国のパワースポットと戦う旅に出ます。
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その時の動画がこれ。
2015年に伏見直樹さんは旅から戻り、東京中板橋にお店を構えています。
伏見直樹さんのお店は、故郷である北海道の郷土料理が自慢で、1品どれでも300円だそうですよ。
でこちらが、お店に立つ現在の伏見直樹さんの様子が分かる、伏見直樹さんのフェイスブックです。
ちなみに、こちらが「レトロ酒場 三本杉」の北海道郷土料理の三平汁。
「レトロ酒場 三本杉」
住所:東京都板橋区中板橋17-3
電話番号:03-6905-7823
営業時間:12:00〜16:30、18:30〜23:00
定休日:水曜日
最後に
伏見直樹さんは、言います、
「白い悪魔」が現代社会に蔓延り、私たちを蝕んでいると。
「白い悪魔」とは、麻薬、光化学スモッグ、エイズ、タバコの煙、豪雪などで、「一目でそれとわかる黒い悪魔以上に厄介な存在」なんだとか。
伝説のホスト、なかなか人生を悟っているではありませんか。
しかしこの「白い悪魔」の中に、白いウェディングドレスの女詐欺師も含まれているそうで、さすが新宿ジゴロだっただけありますね。
以上、新宿ジゴロと呼ばれた伝説のホスト、伏見直樹さんについてでした。