リオオリンピック女子バレーで、郎平(ラン・ピン)監督率いる中国がセルビアを破り、金メダルに輝きました。郎平監督にとっては現役時代に選手として、そして監督として、オリンピックで金メダル獲得を達成したことになります。
この偉業を達成するために交わした監督契約料は、およそ日本円で3千万円でしたが、中国のバレーのクラブ監督としてはおよそ7.6千万円の年収だそうで、なおさら驚きです。
中国チームのユニフォームがとても気になったリオオリンピック女子バレー決勝戦を、郎平監督を中心にまとめました。
そして気になる郎平監督の結婚、離婚、家族のことも紹介します。
中国vsセルビア
リオオリンピック女子バレー決勝に、アメリカも開催国であるブラジルも出ていない、中国vsセルビアという組み合わせになりました。
ブラジルは北京オリンピック、ロンドンオリンピックと2連覇していたので、今回のリオオリンピックでも優勝候補でした。
またアメリカも最近のオリンピックでは決勝戦まで進んでいましたが、準決勝でセルビアに負けるという波乱で、銅メダルに終わりました。
さて、リオオリンピック女子バレー決勝戦、中国vsセルビアという意外な組み合わせとなりました。
第1セットこそ、セルビアが21-19で先取しましたが、中国のディフェンスに苦しめられているように見えました。
中国チームって、平均身長がとても高く、メンバーの半分は190センチ以上、2メートル近い選手もいます。だから攻撃型のチームかなと思いきや、ディフェンス面も素晴らしく、NBCの解説者も、このことを指摘していました。
決勝戦でも素晴らしい中国チームのバレーでしたが、あの黄色いユニフォームに目がいってしまい、一人一人の選手の顔を覚えていません。”個”を消してしまうほどの強烈な色のユニフォーム。もしかするとそれも作戦だったのかもしれません。
一方のセルビアは、何といってもリオオリンピック準決勝で、優勝候補であり、世界ランク1位のアメリカをフルセットの末、破ったチームです。
私はブラジルが準々決勝で中国に負けたことより、アメリカが準決勝でセルビアに負けたことの方が驚きでした。
その前のロシアとの準々決勝で、セルビアはストレートでロシアをくだして、ロシアが負けたことも意外でしたが、試合内容は文句なしにセルビアの方が良かったです。わりと同じようなバレーをする2国で、セルビアのTijana Boskovic選手と綺麗な金髪のBrankica Mihajlovic選手が吠えて、得点を稼ぎました。
決勝戦でも中国のブロックの上をいく、セルビアのこの2人の選手の高い打点からのスパイクが決まると、セルビアはのってきます。しかし、この日は中国の拾って拾って拾うディフェンスに苦しめられているような気がしました。
それから何度か要所要所で、中国のラッキーサーブが決まるんですよね。ネットに当たっても相手のコートにポロッ入る、あのサーブ。サーブのコースが突然変わるので、なかなかディグできません。
いつもバレーの試合を見て思うのですが、こういうネットに当たって相手のコートにポロッと落ちるサーブが決まるチームは、運が見方していて、その試合に勝ちますね。
中国の方があらゆる面で勝っていましたが、セルビアも検討したと思います。大活躍だったTijana Boskovic選手はまだ19歳で、これからが楽しみな選手ですね。
中国の勝因は名将郎平
中国をリオオリンピック金メダルへ導いた大きな動因は、やはり郎平監督です。
セッターなのに180センチもあるXiaDing選手が左手で決めるツーアタックを、リオオリンピックで何度も見てきました。選手一人一人のバレーの技術、高い身長、それゆえの攻撃力、ディフェンス力など、とても優れた中国ですが、やはり郎平監督無しに、このチームの強さはありません。
1960年12月10日生まれの郎平監督は、1979年に中国代表に選ばれ、1984年のロサンゼルスオリンピックで中国が金メダルを獲得したときのエースアタッカーです。
何となく中国っていつもバレーが強いイメージがありますが、郎平監督が現役時代は、物凄く強かったことを記憶しています。
1995年に中国の監督に就任すると、キューバ全盛期だった時代に中国を1996年のアトランタオリンピックで銀メダルへ導きました。
その後1998年からイタリアのセリエAのモデナの監督を務めるなどして、6年間、クラブの監督をしていましたが、2005年にアメリカ女子代表の監督に就任すると、2008年の北京オリンピックで銀メダルをもたらしたのです。
郎平氏が監督就任中、米国チームは90勝49敗の成績を残したそうです。
北京オリンピック後の2008年11月に、アメリカナショナルチームを辞任。中国のプロリーグで広東恒大女子の監督をしていた2013年に、再び中国ナショナルチーム監督に就任しました。
中国代表チームの監督に再び就任することについて、郎平監督は相当悩んだといいます。というのも50歳を過ぎて、自身の健康問題が一番の懸念される理由だそうで、やはり中国ナショナルチームの監督というのは相当プレッシャーがかかるのでしょうね。
それに郎平監督は、家族との時間を大切にしたいからと、ナショナルチームの代表より、クラブの監督の方がいいと話していました。クラブの監督だと、1年間でシーズン5ヶ月だけ働けばよく、残りは家族と過ごせるからだそうです。
2002年にはバレーボール殿堂入りをしています。
2012年のロンドンオリンピックでは、中国は準決勝で日本に敗れるなど、低迷していましたが、郎平監督の元、また強さを取り戻したわけですね。
郎平の離婚と家族
郎平監督は、離婚歴があります。1987年に中国のハンドバールの選手である、フランク(中国名 ファン・バイ)と結婚し、1992年に娘リディアをもうけました。
娘が生まれる前、この元旦那とロスへ移っていますから、リディアはアメリカ生まれでしょう。リディアもスタンフォード大学でバレーのメンバーだったそうですが、2014年に大学を卒業後は、金融関係の仕事をしているそうです。
リディアが生まれて3年後、1995年に郎平監督はフランクと離婚。現在は中国社会科学院の教授であるワン・ユーチェンさんと再婚しているそうです。
郎平監督はバレーとは関係の無い、普通の暮らしがしてみたいと願った時期もあったそうす。ナショナルチームより、監督として働く期間が短かく、普通に家族と暮らせる時間が長いクラブの監督の方がいいと、郎平監督が話すのも頷けますね。
年収は?監督契約料は7.6千万円!
前回のロンドンオリンピックの準決勝で、日本に破れたことがよほど悔しかったのか、低迷する中国の建て直しに必要とされたのが、郎平監督だったわけです。
中国代表監督を引き受ける際に交わした契約料はおよそ3千万円だったそうです。
そして、郎平監督がコーチをしている中国バレーのプロリーク広東恒大女子での監督契約料は7.6千万円だそうです。
この監督契約料は、バレー界では破格なのではないかなと思います。
というのもアメリカの大学のアメリカンフットボールで、強豪チームの監督だと年報が数千万円です。プロチームの監督になると7千万円とか8千万円です。
そう考えると、クラブの監督の方がストレスが少なく、休みも長くて7.6千万円も貰えるのに、ストレスやプレッシャーは相当大きく、しかも休みが無いナショナルチームの監督で3千万円というのは、ちょっと割に合わないのかもしれません。
最後に
中国がリオオリンピック女子バレーで金メダルをとり、郎平監督はこのままナショナルチーム監督を続行するのでしょうか。広東恒大女子はこのまま同じ年報で、監督を続けて欲しいようですが。郎平監督もクラブの監督がいいと話しているようですし、クラブの一監督になって、しばらくの間は家族とゆっくり過ごしてほしいです。
女子バレーも終わり、リオオリンピックは残すところ後1日となりました。寂しい。
以上、リオオリンピック女子バレーで、郎平監督率いる中国が金メダル!7.6千万円の監督契約料と離婚歴や家族についてでした。