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被爆者に対する直接の謝罪が無いまま終わった、広島訪問中のオバマ大統領の演説。今回のオバマ演説は、オバマ大統領が就任直後に核兵器根絶について熱く語ったプラハ型とその後のノーベル平和賞授賞式で無難な内容に収めたオスロ型スピーチの中間点と言えるのではないだろうか。その理由について書いてみたい。
オバマ大統領の核兵器に対する哲学
オバマ大統領が大統領に就任直後にプラハで行った核兵器についての演説は、とても内容が濃く、彼の哲学が詰まったものであった。それにはアメリカ国民は特に賛同もしないが批判も無かった。そんなに話題になったわけではなかったと思う。むしろ国外のメディアが大きく報道し、人々の感動を呼んだのではと記憶している。核兵器根絶はオバマ大統領の願いであり、世界平和へ向けた歩み寄りであった。
しかしその後、大統領になってまだ日の浅いオバマ大統領が、直接何か核兵器根絶に向けて実績を作ったわけでもないのに、何とノーベル平和賞を受賞したのである。この受賞はアメリカでは大きな話題で、特に保守派からの大きなバッシングを受けた。だからオスロでのノーベル賞授賞式の演説では、オバマ大統領は先のプラハでの熱いスピーチとは比べものにならないほど、大人し目の内容であった。
今回の広島訪問のオバマ演説はどうであっただろう。オバマ大統領の核兵器に対する哲学が組み込まれていただろうか。
友陣は完全なプラハ型とは言いきれないにせよ、7割がたイエスと言えると思う。
とにかく広島訪問をしたこと自体、オバマ大統領の核兵器に対する思いが読み取れるのではないだろうか。
また演説の中で、核無き世界をと訴えていたことから、そこがオバマ大統領の核兵器に対する哲学の真髄なのではと思う。そのコアな部分をはっきり言葉にしていたのだ。
でもやっぱり直接謝罪無し
「71年前、死は空からやってきた」と語る一節に、演説を無難にしようとしている趣旨が読み取れた。確かに原子爆弾は上空から投下されたが、これはあくまでも人的行為であり、雷に打たれたとか山沿いの道路を運転していて突然岩が崩れ落ちたとかのような自然現象ではない。
アメリカが直接手を下したことを避ける表現である。
そして何より結局被爆者に対する直截の謝罪は無かった。
ここで謝罪しようものなら、ほとんどこのオバマ大統領の広島訪問について報道していないアメリカメディアも、きっと大きく報道し、人々も政治家もきっと大きく反応するであろう。
こちらもお勧め「オバマ米大統領広島訪問がアメリカで報道されないわけ」
オバマ大統領がプラハでの演説とノーベル平和賞受賞で学んだこと、あまり人々(特に保守派)を刺激しないこと、という姿勢が表れた今回の演説であった。
で、結局その中間点に
結局今回のオバマ演説は、プラハ型とオスロ型の中間に落ち着いたように見える。
理由は上記に述べたが、オバマ大統領自身の核兵器に対する哲学を通しながら、演説は無難にという姿勢の表れである。
大統領の任期終了まであと数ヶ月である。波風を立てるより、無難に終わらせることの方が先決であろう。
しかし被爆国としては、白黒はっきりした演説を期待していたし、被爆者の方々はきちんとした謝罪を待っていたのではないだろうか。
少し煮えきらない部分も残ったが、今回のオバマ大統領の広島訪問は歴史的に意味があり、広島を訪問したという行為そのものが、被爆者の方々を癒してくれるかもしれないと思った。
最後に
個人的には、オバマ大統領の広島訪問も、このオバマ演説も好意的に捉えたい。
何より歴史的な出来事になることは間違いないであろう。